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資格
産業カウンセラー/心理相談員/キャリアコンサルタント/衛生管理者/
健康経営アドバイザー/両立支援コーディネーター/
健康管理士一般指導員/食育アドバイザー/スパイス&ハーブコンサルタント/薬膳マイスター/カラーセラピー

趣味
パン作り(パン教室主催20年)/料理・ケーキ/リサイクルアート作り/旅行(遺跡好き)/読書(心理学、スティーブンキング)
スキー(準指導員)/キックボクシング/ウォーキング/筋トレ

◆小学校時代の経験◆ 

 

小学校低2年生の頃、一番仲が良かった友達が学校内で有名な意地悪な同級生のいじめの対象に。
私は怖かったけれど、やはり仲良しのTちゃんを守りたいと思うことに迷いはなかったのです。
おかげで、ターゲットが私に移ったが、元々体も大きく、仲の良いやんちゃな男子グループもいたため、大したいじめをされることはありませんでした。
ただ1つだけ、私がずっと守ってきたTちゃんはいじめの主犯Sの横にいて、私をいじめる側についていたのです。小学校2年生の私でも、この光景は忘れられない悲しい経験になりました。
この経験で、人は恐怖心があると、正しいことができなくなるんだ、ということを学びました。


◆子供時代に見たニュース◆

テレビのニュースで、親から虐待された少年が死亡して、大騒動になりました。
マイクを持ったレポーターが、近所に住む人や同級生の子供たちにインタビューをして、いかにひどい状況だったかを説明していました。「1年くらい前から、晴れてても傘を杖代わりにしないと歩けないほどフラフラだったのよ」とか「いつも足や腕、顔に青あざがあって・・」「本当にひどい親よね~」と。
私は愕然としたのです。
1年以上も前から、こんなに周りの人が見てる、知ってる、学校先生だってわかってたはず。それなのに、彼が死ぬまで誰も何もしなかったんだ、、、大人なのに、子供が傷だらけで毎朝登校してるのを遠目で見てただけなんだ、と。
このニュースを見て、私は1か月くらい眠れなくなってしまいました。亡くなった少年は、いったい何のために生まれてきたのか。
この経験で、大人だからといって正しい判断ができるわけじゃないんだ、ということを学びました。
そして、こんな大人には絶対ならない!と心に強く思ったのです。それがこの事件で亡くなった少年が生まれた意味になってほしい、と思ったのです。



◆中学校時代の経験◆

私が中学二年生のとき、校内暴力が横行していました。授業中はゲームウォッチで授業を妨害、給食は不良たちだけで取り合いし、女子はパン1枚を5人で食べるしかない。こうした問題行動を止めさせるために学級会で多数決をとっても、不良が怖くて反対できない生徒たちと先生。
そして先生はいつも私たち学級委員を呼び出して叱るだけ。
私は完全に失望しました。
この時期のことはほとんど記憶がないんです。
でもこの頃の私が、なんとか自分を保っていられたのは、「いつでも学校なんてやめていいよ」と言ってくれた両親のおかげ。
学校の中は何も変わらなかったけれど、私の気持ちを変えてくれた。
だから、人は人。私は私、と思える時期を過ごせたのです。勿論学校も休まずに。
この経験で、私が学んだことは、理不尽なことは起こりうるもの。それでも自分の考え方ひとつで辛い状況が気にならなくなる、ということでした。また自分の味方になってくれる人が1人でも2人でもちゃんといる、と思えると、人は強くなれるんだ、ということも学びました。

◆中学校時代に自分で動いた経験◆ 

中学三年生の時、クラスで一番背が小さく、いじめに遭っているJ君がいました。
体育館にあるマットです巻きにされたり、馬鹿にされたり、いくらいじめをする悪ガキたちを注意してもやめようとしない。
そこで、友人と4人で「J君を守る会」を作りました。移動教室でも席替えでも必ずJ君は私たち4人と同じ班、
近くの席にしてもらう。J君が一人になる時間を作らないようにする。
この提案を担任の先生にしたところ、承諾。私たちは公然とJ君をいじめから守る会として活動を開始しました。
すると当然J君がいじめにあうことはなくなりました。 1年間彼を守ることには成功したわけです。
でもそれだけでは足りないことに途中で気づきました。J君自身が自分で自分を守れる人にならないといけないのです。
その実現まではこの頃にはできなかったけれど、この経験は、私の中で、ただ人を災害から守るためだけでは人は救われない。
自律できるようにしなければ、本当の意味でその人を守ることにはならないんだ、ということを学びました。

♥偶然から見つけた天職♥ 



転職歴は5回以上。派遣社員だったことも含めたらもっと多いです。

最初の就職は旅行会社。気づかないうちにストレスがあったせいか、全身蕁麻疹がひどく、毎日20錠以上薬を飲まないと暮らせなくなってしまったのです。
すごく楽しい仕事でやりがいがありましたから残念でしたが、将来の健康が不安になり退職。その後は、特に目的もなく、事務的な仕事をしていました。
ある時社内異動で人事労務へ。そこで初めてのバックオフィスの仕事。自社の社員たちが、少しでも不安なく仕事に専念できるような事務処理の正確さ、そして環境づくりをすることが私の天職だと思ったのです。そこで、そこからの転職はこの仕事をもっとレベルアップすることでした。

目的を明確にした転職は、当然引き合いも多くなり、年収も倍々と増えていきました。
仕事をしながらスキルもアップし、自己効力感も高くなり、自信をもって働く自分に満足を覚えたのです。
学歴や年齢だけで考えたら絶対成功するはずがない転職も、自己理解とやり方次第でうまくいくことを実現しました。

♥産業メンタルヘルスとの出会い♥

人事労務の側から社員のサポートをしていたところ、IT企業ではやけにうつ病で退職する人が多いことに気づきました。そこで、人事部として自分ができることはないか、と考えたら、なんと人事部だからこそできることが山ほどあることに気づいたのです。
社員の勤怠管理、給与、評価、健康状態、家族関係などの変化は、人事労務をしている私だから把握できること。些細な変化にも目を向けていくことで、突然の「退職」「休職」を予防することができるようになったのです。
社内のメンタルヘルス教育も同時に実施を開始し、管理職自身のストレスや孤立も防ぐことができたのでした。

💡社内での戦いは続く💡 



働く人のメンタルヘルス対策は、今や当たり前ですが、当時は反対意見も多く、無駄な仕事、メンタルヘルスは本人の弱さだ、という声が多かったのです。
会社は病人をかばうところではない、と。勿論そうです。病院と会社は違う。でも働く人に成果を発揮してもらうためには、会社がやるべきことはあるはず。反対意見との対立はとても大変でした。
実際、産業メンタルヘルスを進める中で、最も大変な仕事でした。
ですが、この戦いのおかげで得るものも多かったのです。成果を出せばだれも文句は言えなくなる。成果を出すための行動計画の立案。
そして大事なことは、真の仲間づくり。反対勢力がいることもメリットになることを学びました。

💡カウンセリングコーチをはじめた理由💡

働く人のカウンセリングで大事なことは、カウンセリングの後、元気に働く意欲を取り戻していることです。
カウンセリングは時には辛いことを吐き出すことも必要になりますが、終わる頃には元気になっていないといけないのです。
短時間でも自分の気持ちを吐露しながら、頭を整理し、そして次にやるべきことを見つけていくような背中を押していく、カウンセリングとコーチングは同じ方向性ですが、あえてコーチという言葉を入れることで、踏み出す気持ちをお互いが持って挑むという共通イメージを持つために、名付けました。

自分の居場所を見つけた
バックオフィスで社員のサポートをすることが天職だと思って走りながら、心のケアと組織の生産性の両方を確保していくことが最も社会に求められていることであり、私自身がやりたいことなんだ、と気づいたときに、私が子供の頃から抱いていた思いを実現させていこう、と決断したのです。
「誰もほったらかしにしない」「自分の人生を自律的に考える人を作る」 
これが私がやるべきことだったんだ、と。
人生をかけるに値する仕事がこれだと。

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